2010年12月4日土曜日

平均 0,分散大

日本映画祭で 2 本の映画を観た。

まず,昼の回は「フラワーズ」。正直言って,

何じゃ,これ?

って感じ。6 人の女優が 3 世代にわたる一家の女性たちを演じ,彼女たちが命をつないでいく姿を描いた作品。設定としては大河ドラマっぽいが,大河としてのうねりは皆無。では,6 人の女優の魅力を十分に映し出しているかというとこれも不十分。ストーリーなんてどうでもいいから,6 人を魅力的に映すことに専念した方がナンボかマシだったかもしれない。セリフも演技も平板。さらには,少子化の時代とは言え,産めよ育てよ的な話の流れが古臭い上に,押し付けがましい。ハッキリ言って,主演の 6 人がかわいそうである。蒼井優なんて,「おとうと」の時とはまるで別人のように輝きを失っていた。大河ドラマならミニシリーズ化してもいいくらいの題材だと思うが,1 時間 50 分でも長く感じた。こんなの 30 分で十分。

一方,夜は,気を取り直して,今回の映画祭で恐らく一番前評判の高い,中島哲也監督「告白」

いやぁ,これは期待を裏切らない傑作だったね。娘を失くした女性教師が教室で驚くべき告白を始める。松たか子演じるこの教師の告白は冒頭 30 分近く続いて,一旦,終わる。その後,生徒や親の告白を伏線として張り巡らしながら,物語は結末へ向かって大きくうねり出す。そして,ラストも,この教師の驚くべき告白で,まさに驚くべき終焉を迎える。

原作は読んでない。原作の力もあるのかもしれないが,そこは中島監督,相当捻りを利かせているに違いない。そもそも,モノローグで紡がれる物語なんて,映画的にはあまり魅力的ではないはずなんだが,映像の力でぐいぐい引き込まれていった。各エピソード(各告白と言うべきか)のつなぎも絶妙。計算されつくした脚本と演出,それに応えた演技陣。特に松たか子は怖い。それに音楽もいい。これまでもさまざまな手で我々を驚かせてくれた中島監督だが,総合芸術としての映画の醍醐味を,しかもこんな恐ろしい物語で見せてくれた。拍手喝采

しかし,この物語には,コミュニケーション,理解,信頼,想像力などの欠如,喪失が通奏低音として流れている。こりゃ,僕のような職業の人間には,リアルなホラーだよ。あー,怖い。

ここまで衝撃的で練り上げられた日本映画を久々に見たような気がするが…しかし,この後味…アカデミー外国語映画賞は…どうだろうね?

リメイクの噂もあるようだが…アメリカ人には…無理じゃないかねぇ?

2010年12月3日金曜日

衝撃の事実

いやぁ,衝撃の事実が明らかになった。NASA の記者会見が肩すかしだったもんだから,なおさらね。

今,僕の住んでいるアパートは,学生寮の敷地内にあるビジター用のアパート。部屋にキッチンもあるが,基本的に食事は寮の食堂でとれる。ただ,もう寮には学生たちもほとんどいないし,ビジターもさすがにクリスマス休暇にはそれぞれ国や家に帰る。ここで年を越すのは,僕と,もう一人の日本人ビジター松元先生のご一家くらいだろう。

で,ここんとこ,

我々のためだけにここのスタッフ働かすのは申し訳ないねぇ。

だとか

我々の飯だけ作りに毎日来るのかねぇ。

だとか,話していた。

そうしたら,アパートのビジター対応の Maree さんと別件でメールのやり取りをしてたら,その中でこんな話が…

I'm not sure if I have mentioned this before, 
but the college kitchen will be closed 
from dinner on 24 Dec and will reopen 
for breakfast on the 4 January.

おいおい,聞いてないよ。食堂閉まるのかよ。そういうことはもっと早く言ってくれよ。

部屋にキッチンはあると言っても,ちっこいシンクと冷蔵庫と電子レンジだけ。冷食あっためるくらいはできるけどねぇ。

コンロのついたキッチンのある広めの部屋もあるので,現在,その部屋に今と同じか,もう少し安い値段でその期間だけ移れないか交渉中。理由は知らないけど,前に同じレートで移ったことがあるので,今回も行けるんじゃないかと淡い期待を抱いている。

今日返事は来なかったので,多分,月曜日にならないと結果はわからない。

ったく,何抜かす!?

とか思われてたりして :-P

この結末は,月曜以降,ご覧のページで報告します。

Stay Tuned !!

2010年12月2日木曜日

原点回帰?

今日からメルボルンで始まった第 14 回日本映画祭。オープニング作品の山田洋次監督「おとうと」を観てきた。

この作品は市川崑監督作品「おとうと」(1960 年) に捧げられているが,リメイクではない。物語の根幹の部分は似てはいて,不肖の弟を持つ姉の話。市川版では,結婚するのは岸恵子演じる姉自身だが,今回の山田版では姉の娘(演じるは蒼井優)に置き換えられていたりする。設定も大幅に違うため,完全な山田洋次オリジナル版と言える。

山田洋次は僕にとって特別好きな映画監督ではないけれども,なんだかんだ言って結構見ている(正直に告白するが,寅さんシリーズはあんまり見てない…)。ただ,いつも思うことを今回も思ってしまった気がする。いい映画だ。いい作品だし,十分に人に薦められる作品だと思う。だけど,個人的には何か物足りない感が残る。何だろう,この「ほんのちょっとの不足感」。

50 年前の市川版「おとうと」ではこんな不足感は味わっていないのだ。設定が大きく違うだけじゃなく,ビジュアル的にも市川版と山田版では大きな隔たりがある。僕が市川崑作品に共通する,いわば「シャープな映像感覚」をこの上なく好んでいることも少なからず影響しているのかもしれないけれど。

山田洋次監督は松竹大船撮影所で長い経験を積んでいるが,今回の作品はモロ松竹大船調。これまでの山田作品でも,もちろん大船の匂いを感じることは少なくないのだが,今回は,カメラワークといい,役者の演技といい,「大船調」というよりも,何というか,「小津感」とでもいうものがスクリーンを支配しているような気がした。設定は現代だし,山田流の毒も若干ながら含まれているような気がするけれど,ちょっとノスタルジックに流れたきらいがないだろうか?途中から蒼井優が原節子に見えてきたもん。僕だって小津の作品は好きでほとんど見ているけれども,今,山田洋次がそこに回帰することの意味は何なのか?特に今回は,その辺が,僕の感じた「不足感」につながっているような気がしないでもない。

吉永小百合,鶴瓶におなじみの笹野高史など役者も揃っているし,見応えのある作品だとは思う。いい作品だけど…って感じだね。

あ,あと,加瀬亮君には,こういう路線に留まらず,もっと冒険して欲しいという気もするね。いい役者なんだから。

映画の後は一杯。今日は,会場の ACMI と同じ Federation Square にある Beer Deluxe で Brew Dog というスコットランドのブルワリーの Hardcore IPA というのを試した。


スタイルとしては,ハーブのような華やかなホップの香りと苦みに特徴のあるアメリカン IPA だとは思うが,アルコール度数も高く,香りもフレーバーも,どちらかというとベルジャン・トリペルを想起させる。日本人的には,赤ミソや醤油を思わせるアロマも感じる。苦味は強烈で,カラメルのような甘みもある。確かに言われてみればハードコアってのもうなづける。これはビールというよりもブランデーみたいな感覚で,30 分くらいかけてじっくりと味わうのに適したビール。実際,僕も気がついたらチビチビと 30 分以上経ってました。

ビールの方は映画と違って挑戦的だったね。…最近こんな感想が多いな。

2010年12月1日水曜日

隠すということ

隠すということは教育ではない。

そもそも隠そうとしても隠しきれるわけがない。

何かを隠すことで人を教え導くことができると考えている人がいるとしたら,それは,地球が平らな円盤でできており,縁は滝になっていると真顔で説くことと何ら変わりはないのではないだろうか。

今日は何の話かというと,東京都の青少年健全育成条例改定について。

「NO」と言える男がまたしても「NO」と言ってしまったことに対し,さまざまな反対声明が出されていることは,各種報道で皆さんご存知の通り。マンガ家ペンクラブによる反対声明に加え,日本共産党の都議団も公に反対の見解を発表している。規制が検討されている具体的な表現内容についても,条文の検討,批判がなされている。

この辺りは,素人の出る幕ではないと思うし,既に数多く展開されている議論をなぞっても仕方がないので,自分の守備範囲で自分なりの見解を述べたい。

誤解を生まないために,まずは自分自身の立ち位置を明確にしよう。この条例改定案には絶対反対。ただ,すべてのものを無規制で垂れ流して良いと言っているわけではない。業界による自主規制や第三者によるレーティングまでは妨げない。自主規制やレーティングも基準があいまいだから反対という人もいるだろうし,自主規制という旗印の下に,無害であったはずの作品が闇に葬り去られてきた歴史も確かにある[1] が,僕はその存在そのものを否定するつもりはない。仮に自主規制やレーティングが「悪」であったとしても,それは「必要悪」だろうというのが僕の考え方だ。

例えば,我が国の映画の場合,業界団体ではなく,第三者委員会である映倫(映画倫理委員会)が審査を行ない,G, PG12, R15+, R18+ の 4 区分にレーティングしており,映倫の審査が終了しない限り,全興連(全国興行生活衛生同業組合連合会)加盟の劇場では上映できない[2]

さて,このような業界やサードパーティによる規制ならまだしも,行政や自治体が規制に乗り出すことにはやはり違和感がある。事実,日活の「太陽の季節」[3]が,当時の文部省が規制法案策定へ動き出す一因となり,それを阻止するために映倫が組織されたことを思うと,今,都議会で起こっていることが何とも皮肉に思えてならない。

現在,提案されている条例案は,特定の表現への規制にも言及しているようだが,そもそも憲法の規定の下に「表現」が「自由」である以上,コンテンツの性質によりいかなる規制をかけようとも,その裏をかくような「表現」がクリエイターにより創出されて,いわゆる「イタチごっこ」が繰り広げられることは想像に難くない(注)。その結果,規制の範囲はどんどん広がって,本来保証されるはずの自由が奪われていくことにつながりかねない。そういう意味で,表現されるものの性質により法的規制を加えることにはそもそも無理がある

彼らからしてみれば,法や条例で規制するのはもっとも簡単で,かつ,一見,有効に見えるのかもしれない。しかし,その裏で,これはもっと大きな問題を孕んでいる。

例えば,子供たちが,規制されているものを一切見ることも聞くこともできないとすれば,どのようなものがなぜ規制されるのか,その理由や背景について考え,議論し,教え説く機会が奪われかねない。このことは,単に教師や親が,これらの問題を議論の俎上に挙げる機会を削ぐだけでなく,ひいては,隠ぺいによる教育の硬直化をも引き起こしかねない。中世から現代に至るまで,同様の問題で人類は多くの悲劇を経験してきたではないか!

本来,見聞きすること自体が問題ではないはずで,程度の差こそあれ,見せた上で,それをどう捉えるか,問題だとすれば何が良くて何が悪いのか,そこで議論が生まれるべきである。そこに教育が入り込む余地がある,いや,入り込むべきなのだと僕は思う。ネットや携帯の問題にしても同様だが,何を見せて,そこで何を子供たちに教え,伝えていくのか,その選択権が教師や親による教育の現場にあってしかるべきだ。もちろん,それが容易ではないことは理解しているつもりだが,これは親や教師に与えられたある種の使命であって,我々が果たさなければならない責任なのだろうと思うのだ。

今回の条例改定は,そのような教育の機会を奪う危険性を大いに孕んでいる上に,教育の冒涜にも他ならないことを,ここで声を大にして訴えたい。

あるいは,彼(ら)は,「教師や親はそのような教育を行なう必要は一切ない,すべては行政が解決するのだ」とでもいう時代錯誤も甚だしい,のぼせ上った考えを抱いていたりするのだろうか?

今回の一連の騒動を見ていると,前世紀初頭に小説「われら」[4]でザミャーチンが痛快なまでに批判した,かつての大国の姿が都の姿に重なって見えるようだ。

もし,この条例が可決され,このような規制の下で育った子供が教育者や親になったとき,どんな社会がやってくるのか,想像すると少し怖い。仮に,そんな恐るべき未来を小説のような形で表現したとしたら,この条例によって,ザミャーチンのように規制や弾圧を受けることになるのだろうか?


《参考文献》
[1] 森達也(著), 放送禁止歌,  知恵の森文庫 (2003).
[2] キネマ旬報映画総合研究所(編),映画検定公式テキストブック, P.204, キネマ旬報社 (2006).
[3] 古川卓巳(監督), 石原慎太郎(原作), 太陽の季節, 日活 (1956).
[4] ザミャーチン(著), 川端香男里(訳), われら, 岩波文庫 (1992).


(注) この辺りは酒税を巡る第三のビール問題とも関連する。この意味で僕は日本のビール業界の努力を極めて高く評価する。

追記:
今,僕の住むオーストラリアにも,もちろん,レーティングはあるが,実はこちらは政府主導の機関が審査していて,区分も E, G, PG, M, MA15+, R18+, X18+ と日本よりも細かい上,テレビ番組や CM も対象で,印象としては基準も日本よりキツイ感がある。ただ,日本では恐らく見られないだろう映像をこの国で見ることは可能だし,E から M まではテレビでの放映も可能だったり,運用面では,若干のユルさがあるのもお国柄かもしれない。あくまでも,僕の個人的な憶測にすぎないけれども…

2010年11月30日火曜日

タダ働き

僕の取得した 419 ビザは,客員研究員ビザ (Visiting Academics Visa) というもので,大学等で共同研究をするためのもの。ただし,条件として,訪問先の大学等からは一切報酬を得てはいけないことになっている。

Udaya さんの暗号の授業で 1 回だけゲストスピーカーとして話をさせてもらった。まぁ,これは授業というより講演って感じだった。で,この授業,修士の学生が対象なんだが,週に 3 コマあって,2 コマは通常の座学の授業。残りの 1 コマが演習で,学生は授業の内容に基づいた演習や調査,研究を行ない,期末にレポートとしてまとめて提出する。テーマは各学生が授業で学んだトピックスから自由に選ぶことができるんだが,僕が話した回(ステガノグラフィ)に関するテーマを選んだ学生が 2 人いたらしい。

ということで,昨日,この 2 人のレポートの採点を頼まれた…うーん,これってタダ働きだよなぁ。

まぁ,でも,海外の大学で学生の成績つけるなんてのも,経験かな?と思ってポジティブに考えて,目を通したんだが,評価が結構めんどうくさい。評価項目が細かく分かれていて,全部は覚えてないので書けないけれども,たとえば,レポート全体の構成力 (organization) だったり,議論の一貫性 (consistency) だったり,参考文献の適切性だったり,と,ジャーナルの論文査読に似た感じ。それをそれぞれ 10 点満点で付けて,トータルで評価するということ。ちなみに,この演習の成績は,レポートが 80% で,それに先立つプレゼンが 20% ということだ。

日本でも成績基準を含めたシラバスを公開して,学生に十分説明する,ってのが今や普通になっているけど,ここも同じ。というか,学科としてある程度統一した基準を持っているみたいだから,日本よりも厳格な気がする。

とにもかくにも,一応採点結果は渡してきた。ただ,この 2 人以外の学生のレポートやそのレベルがわからないので,どういう基準でそういう点数をつけたか,ってことを説明するのがとても面倒だった。自分一人で全部見れば,ある程度一貫性のある採点ができると思うんだけどさ。もちろん,全員分なんて見る気はさらさらないわけだけどね。というわけで,Udaya さんには,僕なりの基準を説明して,後は他とのバランスを取ってね,つって,お任せしてきました。

…なんかちょっとウチの専攻科生の成績を付けてるような錯覚に陥った…

明日からまた頭を切り替えよう。

2010年11月29日月曜日

タイトルは,一応,今日の日本時間午後 3 時くらいの僕のツイートと連動しております。

さて,来年のことを言うと鬼が笑うと日本ではいうようだが,オーストラリアでは何に笑われるんだろうか?

で,今日は来年の話。

毎年,この時期になると,ウチの学校では,来年,誰彼が何委員をやるとか,お忙しいところ申し訳ありませんが,お引き受け願えませんか?とか,すみません,来年はこれこれをやることになっておりますので,再考願えませんでしょうか?とか,ったく,しょーがねーな,とか,そういうメールが飛び交う(「しょーがねーな」は多分飛び交いはしないけど…)。

僕も来年の 4 月から学校に戻ると,当然何らかの校務に就くことは明らかなわけで,そろそろそんな話題が出るんじゃないかと,ひそかに戦々恐々としていた。

そしたら来ましたがな。「○○をお願いします」と…

今年 1 年間は授業も校務も放棄しているので,日本に帰ったらみんなが手ぐすね引いて待っているってことは,日本を出る前から脅されていたし,何かが来ることは確実なわけで,覚悟もしていたはず。

でも,何が来たかに関係なく,やっぱりこういう連絡が来ると,ちょっとブルーになるよね。少なくとも一瞬ね。まぁ,日本にいたって同じようにブルーになるわけだけどね。「あぁ,俺んとこにもとうとう来たかぁ」なんつってね。

まぁ,でも仕方がないので,気持ちを切り替えて,このメールは読まなかったことにして,残りの 4 ヶ月をエンジョイしたいと思いますよ。そーでないとね。

そういえば,信州松代では,明日から SITA2010 ですねぇ。僕も学生の時以来 14 年間ずっと出ていたけど,今年は欠席。実は,こっちの方もお仕事をお断りしちゃったのよね。すいませんねぇ。まさか,来年誰かが手ぐすね引いて待ってるなんてことは…ありませんよね ?? ね ??

桑原桑原…桑原桑原…桑原桑原…桑原桑原…

2010年11月28日日曜日

酒と映画の日

今日も朝からどんよりした天気。ただ,今日は午後から映画を見に行く予定だったので,天気はあまり関係ない,と言えばない。

というわけで,ACMI で行なわれているユダヤ映画祭で "Protektor" という映画を観てきた。ユダヤ人の女優が主人公。映画で成功を収めるが,ナチが侵攻を始めて…というストーリー。もうちょっとヒリヒリするような緊張感があるのかと思ったが,ちょっと思ったほどではなかった。悪い出来ではなかったけれど,僕の期待値と乖離してたってことかな? 一応,アカデミー賞の外国語映画賞エントリー作品ではあるらしいけれど。

ちょっと映画の方が残念だったので…(ので,というわけでもないんだけど) ACMI の筋向いにある Young & Jackson でビールを呑んで帰ることにした。いつもは 1 階のパブで立ち呑みするんだが,今日は初めて 2 階の Chloe's Bar に上がってみた。ここは Micro Brewer's Showcase というのをやっていて,オーストラリアのいろいろな地ビールを期間限定で提供してくれている。今は Matilda Bay のビールが来ていた。Matilda のビールは Fat Yak とか Alpha Pale Ale なんかが他のパブでも呑めて,ヴィクトリアの地ビールの中でも比較的メジャー。僕も Alpha は結構好き。今日は,今まで呑んだことがなかった Dogbolter というダークラガーが来ていた。


香りはビターチョコのよう。エスプレッソのような強い苦みと,タンニンのような渋みを感じる。苦味の奥にはほのかに酸味と甘みも感じるけれど,苦味ほどには主張せず,程よい感じ。70% カカオくらいのチョコみたいな味わいでなかなかグッド。映画は少し不満だったが酒には不満なし。

ちなみにこのバーには,昔のフリンダースストリート駅の写真なんかも飾られていてなかなか良い。当たり前だが建物は変わらないね。