今日は,天気も良かったので,散歩がてら町の南の方へ昔の大邸宅を見学に行きました。
まずは,ヤラ側沿いに 4km ほど歩いたところにあるコモハウスへ。19世紀中ごろに建てられた真っ白なお屋敷です。ガイドツアーで内部を見学でき,当時の豪華な生活を垣間見ることができました。庭園も見事でした。
コモハウスからサウスヤラの駅までは歩いて 15 分ほど。サウスヤラから電車に乗って,今度はさらに南のリッポンリーへ。サウスヤラからリッポンリーまでは電車で 3 駅。距離的には 4 ~ 5 キロくらいだったから,まぁ,歩こうと思えば歩けるんだが,時間的なことも考慮して電車で移動。
リッポンリーも庭園と 19 世紀の大邸宅が保存されているところ。先にみたコモハウスよりと比べると,庭園もお屋敷もこっちの方が格段に豪華な気がする。屋敷の方は保存状態が良くて,後に加えられた設備が新しいこともあるのかな?それに庭園も広々して,バラ園やシダ園,池なんかも大きくて見事。見応えがありました。
さて,リッポンリーのガイドツアーが終わった時点で 4 時過ぎ。せっかく天気もいいので,海沿いも歩きたいなぁ,ということで,西へ西へと歩き,海岸線へ。そのまま北上してセントキルダビーチへ。さらにそこから,巨大なアルバートパークの中を歩いて市内へ戻ろうという計画。アルバートパークの中にあるアルバート湖の淵を延々と歩きました。公園からは市内の高層ビル群も良く見えました。
アルバートパークから脱出した時点で 6 時過ぎ。7 時までにアパートに戻らないと飯にありつけないという,やるせない都合もあるので,ちょっと考えて,途中からトラムに乗ることに。
最後はトラムに乗ったものの,今日一日で 10 キロ以上は歩いたろう。なかなか気持ちの良い休日でした。腕,顔,首の後ろには日焼け止めを塗って歩いたんだけど,首の前(あごの下)には塗るのを忘れていたので,ここだけが真っ赤に焼けた。恐るべし。ヒゲ剃り後みたいにあごの下がヒリヒリする。気をつけないばなんないね。(←ひそかに北海道弁)
2010年11月20日土曜日
2010年11月19日金曜日
反主流?
今日の夕方もジョギングをして,シャワーを浴びて,風呂上がり,タイガースのイエローメッシュジャージと短パンという出で立ちでダイニングルームで食事をしていた。
すると,同じアパートの M 先生ご一家が現れ,奥様が
と…えぇ,えぇ,そうなんですよ。
しかし,よくよく考えると子供のころからだから,もう 30 年以上になるよなぁ。それなりに年季が入っていると言えよう。
僕が子供の頃は,当然のように,ハムもコンサも(レラカムイも…)ないわけで,北海道はプロスポーツ不毛の地だったわけです。J リーグもなけりゃ,BS 放送なんてものもないから,プロスポーツ中継と言えば,相撲,プロレス,ボクシングに巨人戦くらいなもんだったろう。あ,当時はボウリングなんてのも中継あったか?良く覚えてないや。
だから普通は巨人ファンが多いわけ。日本の他の地方でも同じような土壌のところは多かったろう。
ところがだ。我が家は,両親,祖父母全員アンチ巨人だった。巨人さえ負ければ,我が家はハッピーってなもんだ。そんなところで巨人ファンの子供が育つわけがない。何というか…ある意味,極めてオルタナティヴな環境で育ったわけだ。
まぁ,この姿勢は野球だけに限らず,モノの見方というか思想的な意味でも深い影響があったと思うね。今,思えば,それはそれで良いことだったと思うし,そういう環境には感謝もしている。
ただ,こういう影響って世代を超えるごとに濃くなる傾向もあるだろうから,ときどき,自分の行動とか言動には気をつけた方がいいかなぁ?と思うこともあるんだけどね。
だけど,あれだよなぁ…関西だとタイガースはアピアランス的には超メジャーなわけで(サンテレビさまさま),他の地域とは一線を画すわけだけど,スピリットとしてはどうも反主流の臭いが抜けないよなぁ。優勝しても,いくら首位争いしてもそうなんだよねぇ。古い話だが,ムッシュよっさんも
なんつってたしなぁ。何でかなぁ?まぁ,それはそれでいいんだけどね。
すると,同じアパートの M 先生ご一家が現れ,奥様が
「小嶋先生,阪神ファンなんですか?」
と…えぇ,えぇ,そうなんですよ。
しかし,よくよく考えると子供のころからだから,もう 30 年以上になるよなぁ。それなりに年季が入っていると言えよう。
僕が子供の頃は,当然のように,ハムもコンサも(レラカムイも…)ないわけで,北海道はプロスポーツ不毛の地だったわけです。J リーグもなけりゃ,BS 放送なんてものもないから,プロスポーツ中継と言えば,相撲,プロレス,ボクシングに巨人戦くらいなもんだったろう。あ,当時はボウリングなんてのも中継あったか?良く覚えてないや。
だから普通は巨人ファンが多いわけ。日本の他の地方でも同じような土壌のところは多かったろう。
ところがだ。我が家は,両親,祖父母全員アンチ巨人だった。巨人さえ負ければ,我が家はハッピーってなもんだ。そんなところで巨人ファンの子供が育つわけがない。何というか…ある意味,極めてオルタナティヴな環境で育ったわけだ。
まぁ,この姿勢は野球だけに限らず,モノの見方というか思想的な意味でも深い影響があったと思うね。今,思えば,それはそれで良いことだったと思うし,そういう環境には感謝もしている。
ただ,こういう影響って世代を超えるごとに濃くなる傾向もあるだろうから,ときどき,自分の行動とか言動には気をつけた方がいいかなぁ?と思うこともあるんだけどね。
だけど,あれだよなぁ…関西だとタイガースはアピアランス的には超メジャーなわけで(サンテレビさまさま),他の地域とは一線を画すわけだけど,スピリットとしてはどうも反主流の臭いが抜けないよなぁ。優勝しても,いくら首位争いしてもそうなんだよねぇ。古い話だが,ムッシュよっさんも
「一丸となってチャレンジャー精神で」
なんつってたしなぁ。何でかなぁ?まぁ,それはそれでいいんだけどね。
2010年11月18日木曜日
真実と虚構の間
今夜,ACMI で映画を観てきた。
ユダヤ映画祭というのをやっていて,そのうちの 1 本,"Berlin '36" という作品。勘の鋭い人は気付くかもしれないが,1936 年のベルリンオリンピックに関する映画である。
この作品は真実に基づいて製作された劇映画である。主人公は,実在のドイツ出身のユダヤ人女子走り幅跳び選手であるグレーテル・ベルクマン (Gretel Bergmann) 。
物語の大筋はこうだ。ナチスの人種差別政策などに反対して,アメリカなどがベルリン・オリンピックをボイコットする動きがあることを受けて,ナチスは反ユダヤ政策を緩めて,ドイツ選手団の中にもユダヤ人選手を含めることを検討する。ベルクマンもそのうちの一人で,オリンピックを目指す合宿に参加する。彼女は当時のもっとも優れたハイジャンパーの一人で,金メダルの有力候補。ところが,地元のオリンピックでユダヤ人に金メダルをさらわれたくないナチス側はなんとかして,彼女の対抗馬をオリンピックに送り込もうと画策する。そこでピックアップされたのが,マリー・ケッテラーという 17 歳の選手なのだが,実は彼女は男であるにもかかわらず女として育てられており,ナチス政府は,そのことを承知の上で,彼女(彼?)を女子走り幅跳び選手候補として合宿に参加させる。合宿や事前の大会では,ベルクマンとケッテラーの2人が好成績を残していたにもかかわらず,ナチスのスポーツ省は,オリンピックの直前になって,ベルクマンを「けが」を理由に代表から外す。実際の彼女はけがなど一切していないにも関わらずだ。こうしてオリンピックが開催され,スタンドからベルクマンが見つめる中,ケッテラーは最後の跳躍に臨むが…という感じ。
歴史を舞台とした友情物語としては,まぁまぁ良くできているし,実際,映画の最後には本物のベルクマンのインタビュー映像が出てきたりして(彼女はニューヨークで存命),ここで描かれていることがすべて真実であるように思われる。
ところが,いろいろ調べてみると,これがマユツバなのよね。
事実,ベルクマンは実名なのだが,マリー・ケッテラーをはじめとする他のドイツ人選手などの名前はすべて架空のもの。ケッテラーは,実際にベルリン五輪の女子走り幅跳びで4位入賞を果たし,その後男性であることがわかったドラ・ラチエン (Dora Ratjen) がモデル。ベルクマンがオリンピック直前にユダヤ人であることを理由に代表を外されたところまでは真実だろうけれども,ベルクマンとラチエンの交流,オリンピックでのラチエンの精神状態,実際に起こした行動について,映画の描写が真実であるかどうかはよくわからない。物語として良くできているだけに,真実とは遠いような気もしてくる。
事実,シュピーゲル紙がこの作品の内容が真実ではないという趣旨のルポを公表している。
もう一度,繰り返すが,この作品は真実に基づいて製作された「劇映画」である。つまり,真実そのものではなく,製作者によりある種の脚色が加えられたフィクションである。
映画としての出来は決して悪くないし,何も知らなければ,「あ~,そういうこともあるのね」と信じたい気にさせてくれる。製作者サイドがこの物語が真実であると信じて疑わないのであれば仕方ないが,そうでないなら,最後のインタビュー映像はいらないんじゃないかね?あれがなければ,歴史になぞらえたアナザー・ストーリー,ある種のパラレル・ワールド的物語として,さわやかに感動を味わえたような気がするんだが…
帰って来てから,気になって Wiki ったのが僕の敗因だったのかな?
もう一度いうけど,映画としての出来は決して悪くないし,見るに値する作品だとは思う。でも,こういう作品ってなかなか日本で上映される機会はないのかなぁ?旧同盟国としては,自戒の意味も込めて,ぜひ上映すべき作品だと思うけれど。
もし,機会があればぜひご覧あれ。歴史のダークサイドで実際にあったかもしれない物語として。
ユダヤ映画祭というのをやっていて,そのうちの 1 本,"Berlin '36" という作品。勘の鋭い人は気付くかもしれないが,1936 年のベルリンオリンピックに関する映画である。
この作品は真実に基づいて製作された劇映画である。主人公は,実在のドイツ出身のユダヤ人女子走り幅跳び選手であるグレーテル・ベルクマン (Gretel Bergmann) 。
物語の大筋はこうだ。ナチスの人種差別政策などに反対して,アメリカなどがベルリン・オリンピックをボイコットする動きがあることを受けて,ナチスは反ユダヤ政策を緩めて,ドイツ選手団の中にもユダヤ人選手を含めることを検討する。ベルクマンもそのうちの一人で,オリンピックを目指す合宿に参加する。彼女は当時のもっとも優れたハイジャンパーの一人で,金メダルの有力候補。ところが,地元のオリンピックでユダヤ人に金メダルをさらわれたくないナチス側はなんとかして,彼女の対抗馬をオリンピックに送り込もうと画策する。そこでピックアップされたのが,マリー・ケッテラーという 17 歳の選手なのだが,実は彼女は男であるにもかかわらず女として育てられており,ナチス政府は,そのことを承知の上で,彼女(彼?)を女子走り幅跳び選手候補として合宿に参加させる。合宿や事前の大会では,ベルクマンとケッテラーの2人が好成績を残していたにもかかわらず,ナチスのスポーツ省は,オリンピックの直前になって,ベルクマンを「けが」を理由に代表から外す。実際の彼女はけがなど一切していないにも関わらずだ。こうしてオリンピックが開催され,スタンドからベルクマンが見つめる中,ケッテラーは最後の跳躍に臨むが…という感じ。
歴史を舞台とした友情物語としては,まぁまぁ良くできているし,実際,映画の最後には本物のベルクマンのインタビュー映像が出てきたりして(彼女はニューヨークで存命),ここで描かれていることがすべて真実であるように思われる。
ところが,いろいろ調べてみると,これがマユツバなのよね。
事実,ベルクマンは実名なのだが,マリー・ケッテラーをはじめとする他のドイツ人選手などの名前はすべて架空のもの。ケッテラーは,実際にベルリン五輪の女子走り幅跳びで4位入賞を果たし,その後男性であることがわかったドラ・ラチエン (Dora Ratjen) がモデル。ベルクマンがオリンピック直前にユダヤ人であることを理由に代表を外されたところまでは真実だろうけれども,ベルクマンとラチエンの交流,オリンピックでのラチエンの精神状態,実際に起こした行動について,映画の描写が真実であるかどうかはよくわからない。物語として良くできているだけに,真実とは遠いような気もしてくる。
事実,シュピーゲル紙がこの作品の内容が真実ではないという趣旨のルポを公表している。
もう一度,繰り返すが,この作品は真実に基づいて製作された「劇映画」である。つまり,真実そのものではなく,製作者によりある種の脚色が加えられたフィクションである。
映画としての出来は決して悪くないし,何も知らなければ,「あ~,そういうこともあるのね」と信じたい気にさせてくれる。製作者サイドがこの物語が真実であると信じて疑わないのであれば仕方ないが,そうでないなら,最後のインタビュー映像はいらないんじゃないかね?あれがなければ,歴史になぞらえたアナザー・ストーリー,ある種のパラレル・ワールド的物語として,さわやかに感動を味わえたような気がするんだが…
帰って来てから,気になって Wiki ったのが僕の敗因だったのかな?
もう一度いうけど,映画としての出来は決して悪くないし,見るに値する作品だとは思う。でも,こういう作品ってなかなか日本で上映される機会はないのかなぁ?旧同盟国としては,自戒の意味も込めて,ぜひ上映すべき作品だと思うけれど。
もし,機会があればぜひご覧あれ。歴史のダークサイドで実際にあったかもしれない物語として。
2010年11月17日水曜日
快晴
先週,旅から帰って来てから初めてスカッと晴れました。気温も 20 度そこそこで,このくらいが一番さわやかで過ごしやすいなぁ。真夏は突発的に 40 度近くなるっていうから,覚悟しているけど…
ちゅうわけで,夕方久々に走ってきました。あれだな。本格的に日焼け止めが必要になってきたな。
ちゅうわけで,夕方久々に走ってきました。あれだな。本格的に日焼け止めが必要になってきたな。
2010年11月16日火曜日
アジアの秘宝
昨夜,Cinema Nova で映画を観た。
中国の巨匠チャン・イーモウの新作。しかも,コーエン兄弟のマスターピース『ブラッド・シンプル』のリメイクときたもんだ。
タイトルは "A Woman, a Gun and a Noodle Shop" という。
タイトルだけだとこの 2 作は全然結びつかない。いや,リメイクということを知らなければ,物語の終盤か映画を観終わるまで気がつかないかもしれない。
そもそも,コーエン兄弟とチャン・イーモウという組み合わせが,少なくとも僕の中では全く結びつかない。だからこの映画のことを知った時にも,チャン・イーモウがコーエン兄弟のテイストをなぞるようなことは恐らくしないだろうし,できないだろうと予想していた。
その予想は正しかった。が,ある意味大きく裏切られもした。そうですか…こう来ましたか…という…
チャン・イーモウは時間的・空間的設定を大きく変えるだけでなく,作品のテイストそのものもエキセントリックなまでに飛躍させて見せた。まさに換骨奪胎。リメイクという先入観なしに観たら,もっと楽しめただろう。事実,物語の途中では,これが『ブラッド・シンプル』であることを一瞬忘れて,爆笑したりしてしまった…恐らく中国のコメディアンが出演しているんだろうと思われるが,これ,コントじゃん,というシークエンスも少なくない…
我々と中国人の笑いのツボが微妙に違うこともあるんだろうが,これはオリジナルの『ブラッド・シンプル』とは全く別物だ。ただ,残虐性,ラスト近くのシークエンスでのサスペンス,そこかしこに埋めこまれたコミカルな要素…こう考えてみると正しいリメイクのような気もしてくる。ただ,各要素のさじ加減は大きく違う。原作にあったような背筋が凍るようなスリルよりは,笑いの要素が大幅に増幅されている。それ自体が悪いとは言わないが,僕の原作に対する愛が深すぎて,この作品を冷静に見られなかったのかもしれない。
ただ,失礼を承知で言うが,主演の Ni Yan が微妙に美女のストライクど真ん中を外しているあたりは,オリジナルのフランシス・マクドーマンドを思わせてナイス(かさねがさね,失礼 m(. .)m)。それに,チャン・イーモウにこんな引き出しがあったことも、やはり驚きではある。
その意味で,問題作であることに疑いはないし,必見。ただ,頭の中を空っぽにできるかどうかで,傑作にも珍品にもなるんだろう…ご注意あれ。
中国の巨匠チャン・イーモウの新作。しかも,コーエン兄弟のマスターピース『ブラッド・シンプル』のリメイクときたもんだ。
タイトルは "A Woman, a Gun and a Noodle Shop" という。
タイトルだけだとこの 2 作は全然結びつかない。いや,リメイクということを知らなければ,物語の終盤か映画を観終わるまで気がつかないかもしれない。
そもそも,コーエン兄弟とチャン・イーモウという組み合わせが,少なくとも僕の中では全く結びつかない。だからこの映画のことを知った時にも,チャン・イーモウがコーエン兄弟のテイストをなぞるようなことは恐らくしないだろうし,できないだろうと予想していた。
その予想は正しかった。が,ある意味大きく裏切られもした。そうですか…こう来ましたか…という…
チャン・イーモウは時間的・空間的設定を大きく変えるだけでなく,作品のテイストそのものもエキセントリックなまでに飛躍させて見せた。まさに換骨奪胎。リメイクという先入観なしに観たら,もっと楽しめただろう。事実,物語の途中では,これが『ブラッド・シンプル』であることを一瞬忘れて,爆笑したりしてしまった…恐らく中国のコメディアンが出演しているんだろうと思われるが,これ,コントじゃん,というシークエンスも少なくない…
我々と中国人の笑いのツボが微妙に違うこともあるんだろうが,これはオリジナルの『ブラッド・シンプル』とは全く別物だ。ただ,残虐性,ラスト近くのシークエンスでのサスペンス,そこかしこに埋めこまれたコミカルな要素…こう考えてみると正しいリメイクのような気もしてくる。ただ,各要素のさじ加減は大きく違う。原作にあったような背筋が凍るようなスリルよりは,笑いの要素が大幅に増幅されている。それ自体が悪いとは言わないが,僕の原作に対する愛が深すぎて,この作品を冷静に見られなかったのかもしれない。
ただ,失礼を承知で言うが,主演の Ni Yan が微妙に美女のストライクど真ん中を外しているあたりは,オリジナルのフランシス・マクドーマンドを思わせてナイス(かさねがさね,失礼 m(. .)m)。それに,チャン・イーモウにこんな引き出しがあったことも、やはり驚きではある。
その意味で,問題作であることに疑いはないし,必見。ただ,頭の中を空っぽにできるかどうかで,傑作にも珍品にもなるんだろう…ご注意あれ。
2010年11月15日月曜日
少女は電気羊の夢を見るか?
もう 3 年も前のことになるが,ひょんなことから,女子中学生に向けた理数系公開講座プロジェクトを任されることになった(「ひょん」な理由は余りにも「ひょん」なので,ここでは伏せておく…ところで,「ひょん」って何だ?? まぁ,いいや)。文科省から 2 年間予算をもらって,いろいろやったわけ(「いろいろ」の内訳はここを参照)。今は,同様の事業は文科省から JST に移ったみたいだが,いずれにしても,科学・工学系の女性研究者や技術者が少ないってことで,政府主導で今でもさまざまな取り組みが行なわれている。
こっちに来てから,他のビジターの先生方とも同じようなディスカッションをしたことがあるが,どこの国でも,理工系の学部における女子学生の比率は,平均するとせいぜい 20% くらいが関の山らしい。
で,今朝の新聞でこんな記事を見た。
どうやら,year 12 だから,高校 3 年生に当たる年代を対象とした数学に関する調査で,女子生徒の成績が男子生徒の成績に及ばない,という結果が公表されたっていうような内容。まぁ,こういう調査の結果をどの程度鵜呑みにするかは注意を要するんだとは思うが,ただ,さもありなんと思わせる結果ではある。もちろん,こういうところに先天的なジェンダーギャップはないんだろうし,多くの場合,育つ過程における環境的要因の方が大きいんだろうとは思う。それがまさに,僕らが取り組んできたプロジェクトの背景にもあったはずだ。
記事の中では,女子生徒は携帯の外見には関心を示すけれども,中身には興味がないみたいな記述もあった。ウチの学校の学生や卒業生,あるいはウチのヨメなんかを見てると,錯覚を起こしそうになるが,一般的には確かにそうなんだろうね。
こういう問題に対する取り組みの背景には大きく分けて 2 種類の考え方があると思う。一つは,できるだけ性差を埋めましょうという考え方,もう一つは,そもそも優れた技術者や研究者が不足しているから,これまで人口が少なかったところに救いを求めましょうという考え方だ。僕自身は,政府の取り組みの背景や,僕ら自身のプロジェクトの背景には,後者の影響がより強いんだろうと理解している(もちろん,違う考え方の人もいるとは思うけど)。
本当に優れた能力を持っているのに,それに気付かないで来ている人材がいるとすれば,そこを開拓することには大きな意味があるだろう。一方,性差を埋めましょうということが目的化して,仮に(あくまでも仮に)興味もない子に無理やり押し付け教育をしてしまうようなことがあったら,それは本人にとっても社会にとっても不幸なことでしかない。これは女子に限った事じゃなく,男子にだって同じことで,行き過ぎるとセクハラの問題になりかねない。
さて,じゃぁ,我々にできることは一体何だろうと考えると,子供たちに対して,より広い選択肢,より広い世界を見せてあげることなんじゃないかと,やっぱり思う。当たり前のことだけれどね。そこで,何を面白いと思うか,どこが自分の生きる世界なのかを知るってことは,子供たち自身に委ねられるべきだ。ちょっと「オズの魔法使い」的なメッセージかもしれない。かくいう僕だって,最初からこういう道に進もうと思っていたかというと,はなはだ怪しいし,最初のきっかけは本当に小さなことか,あるいは錯覚にも似たもので,そこからいろいろと見聞きするうちに,関心がどんどん高まってきたんだろうと思う。錯覚でもいいから,最初のきっかけをつかむことができるか,つかむとしたらどういうところに出会いが待っているのか,ってことがミソなんだろうな,やっぱり。
科学や工学の分野の話は,ともするとトリッキーになりがちで,一般受けするというよりは専門家やマニアに向けたものになる危険性を大いに孕んでいると思う。でも,医療の分野ではインフォームド・コンセントの考え方がある程度浸透して,例えば薬の名前だったり,その効果や副作用だったり,ということについて,一般市民の認知度が昔に比べてかなり高まっているんだろうとは思う。これは科学や工学でも同じことで,我々が享受しているテクノロジーの細部について,一般的な認知度がもっともっと高まらなければならないんだろう。
そういった意味で,少なくとも僕自身が重要だと思うのは,直接ジェンダーギャップの問題を解決するということではなく,もっと普遍的なものだという気がするんだよね。これは,例のプロジェクトを進めているときから漠然と思ったいたことで,問題の本質はもっと深くて広いんだと思う。
ちょっと違うかもしれないけれど,例えば,僕らの親の世代が IEEE 802.11n って何かを理解するような社会になれば,何かが変わって見えるんだろうか??
こっちに来てから,他のビジターの先生方とも同じようなディスカッションをしたことがあるが,どこの国でも,理工系の学部における女子学生の比率は,平均するとせいぜい 20% くらいが関の山らしい。
で,今朝の新聞でこんな記事を見た。
どうやら,year 12 だから,高校 3 年生に当たる年代を対象とした数学に関する調査で,女子生徒の成績が男子生徒の成績に及ばない,という結果が公表されたっていうような内容。まぁ,こういう調査の結果をどの程度鵜呑みにするかは注意を要するんだとは思うが,ただ,さもありなんと思わせる結果ではある。もちろん,こういうところに先天的なジェンダーギャップはないんだろうし,多くの場合,育つ過程における環境的要因の方が大きいんだろうとは思う。それがまさに,僕らが取り組んできたプロジェクトの背景にもあったはずだ。
記事の中では,女子生徒は携帯の外見には関心を示すけれども,中身には興味がないみたいな記述もあった。ウチの学校の学生や卒業生,あるいはウチのヨメなんかを見てると,錯覚を起こしそうになるが,一般的には確かにそうなんだろうね。
こういう問題に対する取り組みの背景には大きく分けて 2 種類の考え方があると思う。一つは,できるだけ性差を埋めましょうという考え方,もう一つは,そもそも優れた技術者や研究者が不足しているから,これまで人口が少なかったところに救いを求めましょうという考え方だ。僕自身は,政府の取り組みの背景や,僕ら自身のプロジェクトの背景には,後者の影響がより強いんだろうと理解している(もちろん,違う考え方の人もいるとは思うけど)。
本当に優れた能力を持っているのに,それに気付かないで来ている人材がいるとすれば,そこを開拓することには大きな意味があるだろう。一方,性差を埋めましょうということが目的化して,仮に(あくまでも仮に)興味もない子に無理やり押し付け教育をしてしまうようなことがあったら,それは本人にとっても社会にとっても不幸なことでしかない。これは女子に限った事じゃなく,男子にだって同じことで,行き過ぎるとセクハラの問題になりかねない。
さて,じゃぁ,我々にできることは一体何だろうと考えると,子供たちに対して,より広い選択肢,より広い世界を見せてあげることなんじゃないかと,やっぱり思う。当たり前のことだけれどね。そこで,何を面白いと思うか,どこが自分の生きる世界なのかを知るってことは,子供たち自身に委ねられるべきだ。ちょっと「オズの魔法使い」的なメッセージかもしれない。かくいう僕だって,最初からこういう道に進もうと思っていたかというと,はなはだ怪しいし,最初のきっかけは本当に小さなことか,あるいは錯覚にも似たもので,そこからいろいろと見聞きするうちに,関心がどんどん高まってきたんだろうと思う。錯覚でもいいから,最初のきっかけをつかむことができるか,つかむとしたらどういうところに出会いが待っているのか,ってことがミソなんだろうな,やっぱり。
科学や工学の分野の話は,ともするとトリッキーになりがちで,一般受けするというよりは専門家やマニアに向けたものになる危険性を大いに孕んでいると思う。でも,医療の分野ではインフォームド・コンセントの考え方がある程度浸透して,例えば薬の名前だったり,その効果や副作用だったり,ということについて,一般市民の認知度が昔に比べてかなり高まっているんだろうとは思う。これは科学や工学でも同じことで,我々が享受しているテクノロジーの細部について,一般的な認知度がもっともっと高まらなければならないんだろう。
そういった意味で,少なくとも僕自身が重要だと思うのは,直接ジェンダーギャップの問題を解決するということではなく,もっと普遍的なものだという気がするんだよね。これは,例のプロジェクトを進めているときから漠然と思ったいたことで,問題の本質はもっと深くて広いんだと思う。
ちょっと違うかもしれないけれど,例えば,僕らの親の世代が IEEE 802.11n って何かを理解するような社会になれば,何かが変わって見えるんだろうか??
2010年11月14日日曜日
十分なリハビリ
えー,長い旅から帰ってきまして,昨日と今日はリハビリです。
リハビリと言っても,体を休めるだけでなく,頭を切り替えるリハビリでもある。
昨日は溜まっていた洗濯と荷物の整理。洗濯機がアホで2時間くらいかかるので,その間にぼんやりメール読んだりして過ごしました。
で,今日は頭を切り替える日。
実は旅に出る前に投稿した論文の〆切が延びていて,今日 11/14 までになっていた。というわけで,どうせなら,と旅の間に考えていたことなんかを書き足したり,微細なミスを直したりして,訂正版をアップロードしました。今日はほとんどその作業に費やした。なんとか無事に更新できました。
明日からは久々に大学に出ます。頭も現実モードに切り替わったし,仕事を前に進めますかね?
リハビリと言っても,体を休めるだけでなく,頭を切り替えるリハビリでもある。
昨日は溜まっていた洗濯と荷物の整理。洗濯機がアホで2時間くらいかかるので,その間にぼんやりメール読んだりして過ごしました。
で,今日は頭を切り替える日。
実は旅に出る前に投稿した論文の〆切が延びていて,今日 11/14 までになっていた。というわけで,どうせなら,と旅の間に考えていたことなんかを書き足したり,微細なミスを直したりして,訂正版をアップロードしました。今日はほとんどその作業に費やした。なんとか無事に更新できました。
明日からは久々に大学に出ます。頭も現実モードに切り替わったし,仕事を前に進めますかね?
登録:
投稿 (Atom)