2010年11月15日月曜日

少女は電気羊の夢を見るか?

もう 3 年も前のことになるが,ひょんなことから,女子中学生に向けた理数系公開講座プロジェクトを任されることになった(「ひょん」な理由は余りにも「ひょん」なので,ここでは伏せておく…ところで,「ひょん」って何だ?? まぁ,いいや)。文科省から 2 年間予算をもらって,いろいろやったわけ(「いろいろ」の内訳はここを参照)。今は,同様の事業は文科省から JST に移ったみたいだが,いずれにしても,科学・工学系の女性研究者や技術者が少ないってことで,政府主導で今でもさまざまな取り組みが行なわれている。

こっちに来てから,他のビジターの先生方とも同じようなディスカッションをしたことがあるが,どこの国でも,理工系の学部における女子学生の比率は,平均するとせいぜい 20% くらいが関の山らしい。

で,今朝の新聞でこんな記事を見た。


どうやら,year 12 だから,高校 3 年生に当たる年代を対象とした数学に関する調査で,女子生徒の成績が男子生徒の成績に及ばない,という結果が公表されたっていうような内容。まぁ,こういう調査の結果をどの程度鵜呑みにするかは注意を要するんだとは思うが,ただ,さもありなんと思わせる結果ではある。もちろん,こういうところに先天的なジェンダーギャップはないんだろうし,多くの場合,育つ過程における環境的要因の方が大きいんだろうとは思う。それがまさに,僕らが取り組んできたプロジェクトの背景にもあったはずだ。

記事の中では,女子生徒は携帯の外見には関心を示すけれども,中身には興味がないみたいな記述もあった。ウチの学校の学生や卒業生,あるいはウチのヨメなんかを見てると,錯覚を起こしそうになるが,一般的には確かにそうなんだろうね。

こういう問題に対する取り組みの背景には大きく分けて 2 種類の考え方があると思う。一つは,できるだけ性差を埋めましょうという考え方,もう一つは,そもそも優れた技術者や研究者が不足しているから,これまで人口が少なかったところに救いを求めましょうという考え方だ。僕自身は,政府の取り組みの背景や,僕ら自身のプロジェクトの背景には,後者の影響がより強いんだろうと理解している(もちろん,違う考え方の人もいるとは思うけど)。

本当に優れた能力を持っているのに,それに気付かないで来ている人材がいるとすれば,そこを開拓することには大きな意味があるだろう。一方,性差を埋めましょうということが目的化して,仮に(あくまでも仮に)興味もない子に無理やり押し付け教育をしてしまうようなことがあったら,それは本人にとっても社会にとっても不幸なことでしかない。これは女子に限った事じゃなく,男子にだって同じことで,行き過ぎるとセクハラの問題になりかねない。

さて,じゃぁ,我々にできることは一体何だろうと考えると,子供たちに対して,より広い選択肢,より広い世界を見せてあげることなんじゃないかと,やっぱり思う。当たり前のことだけれどね。そこで,何を面白いと思うか,どこが自分の生きる世界なのかを知るってことは,子供たち自身に委ねられるべきだ。ちょっと「オズの魔法使い」的なメッセージかもしれない。かくいう僕だって,最初からこういう道に進もうと思っていたかというと,はなはだ怪しいし,最初のきっかけは本当に小さなことか,あるいは錯覚にも似たもので,そこからいろいろと見聞きするうちに,関心がどんどん高まってきたんだろうと思う。錯覚でもいいから,最初のきっかけをつかむことができるか,つかむとしたらどういうところに出会いが待っているのか,ってことがミソなんだろうな,やっぱり。

科学や工学の分野の話は,ともするとトリッキーになりがちで,一般受けするというよりは専門家やマニアに向けたものになる危険性を大いに孕んでいると思う。でも,医療の分野ではインフォームド・コンセントの考え方がある程度浸透して,例えば薬の名前だったり,その効果や副作用だったり,ということについて,一般市民の認知度が昔に比べてかなり高まっているんだろうとは思う。これは科学や工学でも同じことで,我々が享受しているテクノロジーの細部について,一般的な認知度がもっともっと高まらなければならないんだろう。

そういった意味で,少なくとも僕自身が重要だと思うのは,直接ジェンダーギャップの問題を解決するということではなく,もっと普遍的なものだという気がするんだよね。これは,例のプロジェクトを進めているときから漠然と思ったいたことで,問題の本質はもっと深くて広いんだと思う。

ちょっと違うかもしれないけれど,例えば,僕らの親の世代が IEEE 802.11n って何かを理解するような社会になれば,何かが変わって見えるんだろうか??

2 件のコメント:

  1. > 例えば,僕らの親の世代が IEEE 802.11n って何かを理解するような社会になれば
    私はこんな世界にはならないでほしい。

    何が悲しくて一般人が無線LANの規格の名前を知らなければならないのか。
    「何かを理解する」ってことは名前だけじゃなくてもっとか。(汗

    他の世界はもっとブラックボックス化されていて、
    知らなくてもいいことになっているような気がする…。

    こんなイカツイ名前を知らなきゃならんということが
    とっつきにくさを演出していると思うんだけどな…。

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  2. うん,そんなようなことを言われるような気がして,「ちょっと違うかもしれないけど」って前置きをしたんですが… (^^;

    やっぱり書き方が悪かったかな? というかそもそも見解が不一致なのかもしれないけど,要は普段使っている製品について,一般の人がもう少し関心を持ってもいいんじゃないかってことなんですよ。

    802.11n は言い過ぎにしてもさ,CDMA って何かとか,もっと家電寄りの話をすれば,ダイソンの掃除機は何がすごいのかとか,IH炊飯器の IH って何かとか…そんなことをその辺のおばちゃんでもある程度わかるようにならんもんかな?と思ったりするわけですよ。本文でも書いたけど,医療系だとさ,非ピリン系って何だとか,イブプロフェンって何だとか,もう少し浸透しているような気がするんだけどなぁ(気がしてるだけかなぁ?)。

    ブラックボックス化すること自体はいいけど
    完全無知な上でブラックボックスにするのと,煩雑なことをイチイチ言わなくてもいいから,ってことでブラックボックスにするのとでは大きく違うと思うからね。

    「とっつきにくさ」が原因でブラックボックスさされてしまうんだったら,「とっつきにくい」と思わせないような工夫ってなんだろう?ってのが,僕が考えていることの本質なのかもしれない。

    すいません,何だか混乱してきたけど,僕の頭の中にあるモノが少しは伝わりますかねぇ?

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