2010年9月29日水曜日

没個性の脅威

書いているご本人は予想外の反響に戸惑われているようだが,HMV 渋谷店が閉店したことに関するブログエントリ(HMV渋谷閉店にまつわる僕の見解)が twitter などを介して盛り上がりを見せている。 これを書かれた加藤さんの意図とは少しずれることを承知で,最近思っていたことを少し書かせてもらう。

メルボルンに来てからずっと思っていることだが,本や CD を手に入れようと思うと,思いのほか苦労する。まず,大きな本屋が少ない。それから大きな CD ショップも少ない。僕はどちらかというと,ウィンドウショッピング派ではなく,あらかじめ心に決めたものを一直線に買いに行く派なので,店に行って欲しいものが見当たらないと,それなりにフラストレーションを感じる。大体,僕の欲しいものは,メジャー路線を微妙に外したところのものが多いので,よくこういう状況に出くわす。だから,日本でもここでも,ネットショッピングをすることが多くなる。

だけど…だけどだ。僕の持っている本や CD の中には,店をぶらぶらと歩いていて,偶然目に入ったものを衝動買いして,それが今でも自分にとって大切になっているものが少なくない。だから,本屋や CD ショップがなくなることには一定の危機感を覚えている。

本屋で店頭に平積みになっている本,CD ショップで店員による手書きのポップが張られたディスク…確かにこういうところにショップの個性が出るものだし,我々情報を享受する側としては,メディアに晒されていない隠れた名品に出会う楽しさがある。

今住んでいるこの街で,CD ショップや本屋をぶらぶら歩いていても,そういう感動にはまず出会えない。どこの店に入っても,棚に置かれてある商品はほぼすべて同じ。これならネットで十分だ。というか,ネットの方がまだマシだ。

自分の領域に引き込むようでアレだが,これは本や CD に限ったことじゃない。たとえば,僕が昔住んでいた街に小さな酒屋があって,そこの主人は自分の趣味で地方の地ビールや地酒を取り寄せて細々と売るコーナーを設けていた。「こんど,これ,入れてみてよ」なんてお願いしてみると,翌週には入荷していたり,なんてこともあった。こんなこと,街の量販店ではあり得ない。

それから映画。僕は学生時代を札幌で過ごしたが,15 ~ 20年前の札幌の映画文化は地方都市としてはかなり恵まれていて,当時,単館系などと呼ばれたりした独立系の作品やアート映画なども,東京より少し遅れはするものの見ることができた(もちろん,すべてではないが…)。○○監督の△△って映画があるらしい…なんて話を聞くと,「あぁ,それなら,狸小路 X 丁目の☆☆あたりで上映するだろうなぁ」なんてことを思ったものだ。

HMV 渋谷店に限らず,多かれ少なかれ,本にしろ,音楽にしろ,そして酒にだって,以前はもっと個性的で,店主や店員の顔が見えるショップが多かったような気がする。映画館の場合は状況はもう少し複雑だろうが,フィルムのセレクションに館主の意向が大きく反映されることも少なくなかった。これらを失うことは,我々にとって見かけよりももっと大きなものを失うように感じられてならない。

加藤氏は書いている。「結局は,人なんだよ」。そう,結局は人なんだ。だけど,人から個性や情熱を奪うような要素が確かに存在して,それらが複雑に絡み合って現在のような状況を作り上げている,ということも言えると思う。そういった要素,状況に,情熱がどこまで抗うことができるか,これは文化や情報を発信する側だけの問題じゃなく,受け取る方の立場としても,肝に銘じておかなければならない命題だと思う。

取り返しのつかないことになる前に…

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