2010年8月8日日曜日

MIFF #15

"Caterpillar" @Forum Theatre

濃く,複雑な映画だ。観終わった後の素直な感想である。

去年の夏,若松孝二監督の講演を聞いて以来,見なくちゃいかんと思っていた作品。

戦争で四肢を失った夫が帰ってきた。軍神と崇められる男を,「国家のため」と世話をする妻。食うことと寝ること,性欲を満たすことしかできない「神」に尽くす女の姿を通して戦争の愚かさと無残さを問う…。表向きはそう説明するのがふさわしい作品だし,若松監督自身の第一義的な創作意欲もそこにあったろうと想像できる。

しかし,底流に流れる本質的なテーマは,もっと普遍的なもののような気がする。外見とは無関係に,社会の中で人間として生きることの意味を激しく問うているような気もするのだ。社会の中に置かれている以上,我々には外の顔があり,それでいて,自分ないしは本当に親しい身内にしか見せられない内の顔がある。我々の多くがそうした二義的な存在として日常を生きているわけだが,そのことの意味を問い,一個の「人間」として生きることの意義を深く追求しているようにも感じられてならない。

それにしても,夫と妻,この場合,「神」と「人」と言い換えてもいいのだが,この立場が少しずつ変化しながら推移するさまの何とサスペンスフルなことか。支配,服従,叛乱,欲望…人間が歴史の中で繰り返したことの縮図が,この二人の生活を通して描かれているかのようだ。中でも,精神の針が振り切れたときに見せる寺島しのぶの笑いは,しばらく脳裏から離れないかもしれない…。上映時間は 90 分に満たないが,そこで目にすること,感じることの濃密さは言葉では表しきれない。

ラスト,玉音放送が流れ(テロップは平易で現代的な日本語で書かれている!),戦争が終わる。それとともに「芋虫」も「神」から「人」になり果てる。一見,ひとつの時代が終わり,何かが変わったようにも感じられる。しかし,どうだ。「戦後」はまだ終わっていないし,我々の「人間」としての生活は,今も,これからも続いていく。

ちょうど一週間後の来週の日曜,敗戦から 65 年目の日がやって来る。

そして,我々はこれからも人間として生きていかなくてはならない。

Caterpillar (原題:キャタピラー)
(2010 年 / 日本 / 85 分)
監督:若松孝二
出演:寺島しのぶ / 大西信満
2010 年ベルリン国際映画祭銀熊賞最優秀女優賞

★★★★★★★★★☆

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